某M女史のところに載っていた記事を読み共感を覚えたので、つい最近の出来事を書こうと思う。
我々は常に評価をされる側にある。
撮った写真はほぼ全て評価される。良いか悪いか、どこが良くてどこが良くないのか、と。
そして、その評価を下すのは、写真のイロハも判らないようなアマチュアだ。
そのために、時として撮り手(つまり自分)とその評価にはかなりのギャップが生まれることがある。
バスケットボールを撮った写真でこんな評価があった。
選手がジャンプをしながらシュートしたその瞬間を我ながら見事に撮った写真について「評価=悪い バスケットゴールのスタンドが写り混んでいる」
そしてもう一つは、ただ単にプレイ中の選手の顔のアップを撮った写真「評価=素晴らしい ベストショット」
シュートシーンなのだから、バスケットゴールのスタンドが写っていてもなんら変ではなく、スタンドが写っていようがどうしようが最高のタイミングの写真に違いはない。
方や、望遠レンズによる顔のアップなのだから背景は完全にボケており、要するにそれだけの写真ということだ。
しかし、評価は覆らない。
撮り手がどのように思おうが、それとその写真の評価は関係が無い。
評価をされるとはそういうことなのだ。
そして、その「評価」とは「写真の感想」だけの意味ではない。カメラマンの実力に対する評価として、つまりは報酬に多大に影響してくる。
もっとも、そういう評価に怯える必要もない。
良い写真は必ず良い写真としての評価の傾向があり、時にイレギュラーはあっても、それが全てを支配しているわけではないのだから。
だから、良いと思える写真を一生懸命に撮り続けること。そうやって得た評価を積み重ねていくだけなのだ。